第3話 挿絵:A☆KIRAさん


吹雪にでもなったのだろうか。一刻館全体が共鳴している。いつま
でも座り込んでいる訳にもいかず立ちあがるとスカートを整えた。
煤けた板が相変わらず春香の行く手を塞いでいる。
「もう!」
右足の仇討ちよろしく左足で軽くドアを蹴飛ばしみる。と憎々しい
遮蔽物が音もなく開いた。
「え"!?!?・・・」
・・・・・・・・・思わず目が点になってしまった。
どうやら初めから鍵は掛かっていなかったようだ。ではなぜ最初の
一撃で開かなかったのか。脱力する春香の前に主の帰りを待ち侘び
ていたように十二畳一間の空間が静かに広がっていた。
「何よもうこのドア!」
ドアにあたるも一度もノブに手を触れていないことを思い出した。
玉砕した右足が怒りを訴えたが何とか開いてくれてホッと一息であ
る。
”みんなお父さんのせいだからね”
後で自分のバッグを父に届けさせようと考えながら感慨深い管理人
室にゆっくりと足を踏み入れてみる。幼い時は大きく感じられた郷
愁の管理人室も改めて見ると随分小さく感じられる。ここを出るま
では毎晩両親の布団の渡り鳥をしていた。幼時を思い出してほくそ
えむ春香だったがしんみりと懐旧するにはまだ早過ぎる。歩いて行
くとレモン色のカーテンをさっと開けた。
「凄い・・・。」
そこは何も見えない文字通り白の世界であった。春香がこれほどの
飛雪を見るのは初めてである。この様子では明日辺り積もるのでは
ないだろうか。眼前の情景に感動しながらも手にしたカーテンが新
しい物だと気付いた。五代家がここを後にして新しい管理人が入っ
たという話は聞いていない。と、沈思する春香のお尻にいきなり何
者かが触れた。
「キャーーッッ!!」
桃色の嬌声が部屋いっぱいに反響した。くるりと振り向きながら手
は早くも被災したお尻の保護と防御に当たっている。先のおてんば
蹴りを目撃されたのではないかという思いとあいまって春香の顔は
あっという間にさくらんぼになってしまった。
「ご、ごめんなさい。!」
被害にあったお尻を抱えながら何故自分が謝らねばならないのだろ
うと記憶を紐といてみるも自律神経最高潮の頭では自答できるはず
もない。瞬きしながらも何かの気配に自然に視線が下がっていく・・・・。
「?!」
そこには紛れもなく春香の顔をサクランボに変えた化粧師が鎮座し
ていた。背の丈は一メートル余り、皮膚は黒と白のツートンカラー
の物体がいつの間にか春香の前に見参している。長いクチバシに可
愛いお手々、申し訳程度の尻尾に足には贅沢にも水掻きを付けてい
る。
「はあ???・・」
しゃがみ込むと不思議な生物に首を傾げてみる。と相手も真似て首
を傾げる。目をしばたかせている春香にきらめく眼で答えると嬉し
そうに手をばたつかせ始めた。春香の歓声が上がった。
「可愛い〜!!」
「何やってんだここで?」
突然の声に顔を上げると虎縞のドテラを着込んだ長髪の少年が一人。
大きな袖に両手を収納しながら欠伸をしている。
「あ、こんにちわ。」
裸足のままで大きなクシャミをしている少年をよくよく見てみると
何と自分のクラスメートである。
「あなた二ノ宮君じゃない!」
「あんた誰?」
「誰って・・!?」
二ノ宮金次郎、薪を背負って勉強したという農学者として誉れ高い
かの二ノ宮尊徳王と同姓同名の同級生である。授業中も含め学校で
はほとんど居眠りという変わり者であるが学年別テストでは常にト
ップという天才でもある。が、さすがの春香も憤慨した。
「ちょっと!自分のクラスメートの顔も分からないの?」
「クラスメート?」二ノ宮は長い髪を垂らした頭を面倒くさそうに
掻いている。
「五代春香!」
春香も特別目立つ訳ではないが快活な事では定評がありまた自負も
ある。
「あーあーあーあー!」と二ノ宮もようやく頷いている。
「分かってくれた?」
と一瞬安堵の春香の思いも空しかった。
「そんな娘いたっけ?」
春香は昇天した。
「あのね・・・。」
「で、お前ここで何してんの?」
「ちゃんと名前で呼んで!」
「あ、ああ。ええと・・五代。」
再び頭に血が上りかけたが本人はいたってマイペースのようである。
となれば気色ばむだけ損だ。小さな化粧師は何時の間にか春香の足
元にうずくまっている。
「それよりこれあなたの?」
「俺の可愛いピット君だ。」
「ピット君て・・。これ何なの?」
「お前ペンギン知らないのか?」
「知らないはずないでしょ!」
春香も直接二ノ宮と話をしたのはこれが初めてである。しかし噂に
違わぬ変わり者だという事だけは納得できた。ペンギンを個人で飼
っている者など日本中に何人いるのだろう。呆れている春香を尻目
にピット君の主は大欠伸をしている。
「でも何であなたがここにいるの?」
「何でって言われても・・ここ俺のうちだもん。」
「ここに住んでるの?」
「そう。」
自分のクラスメートが一刻館で暮らしていたとは驚きである。それ
もよりによってペンギン連れの二ノ宮君である。
「ピット君の散歩でも行こうかと思ったら動物の雄叫びが聞こえた
から何かと思って。」
「え?・・・」
動物の雄叫びとはもしかして先ほどの自分の悲鳴の事ではないのか。
女性に対してこれほど失礼極まる話も他にない。春香にとってもは
や前科一犯の二ノ宮である。
「お前ここで何してんの?」
「ちゃんと名前で呼んで!!!」
語気の強さに二ノ宮は一瞬たじろいでしまった。
「ご、ごめん。」
素直なところもあるようではある。がそれで春香が救われると言う
訳でもない。いずれ別の形で贖罪してもらわねばと思う。寝ていた
ピット君が器用に起き上がると伸びをしている。無神経な主はとも
かくピット君は可愛い。春香は一息つくと腰を落としてピット君の
頭をなでてやった。
「私も今日からここに住むの。ねえ、これ南極にいるペンギンなの?」
「いや、こいつはフンボルトペンギンだけど・・・・」
「南極と違うの?」
「南アメリカの太平洋沿岸に生息してるんだ。それよりここに住むっ
て・・この管理人室に?」
「そうよ。」
「一人で?」
「勿論。」春香は腰を上げると気持ち良さそうに大きく深呼吸して
みせた。
「今日から私がここの管理人。その事十分頭に入れておいてね。」
「中学生の身分でか?」
「何か文句ある?」
「ないです。」
直答する二ノ宮を見て春香の心も幾分和らいだ。しかし何げに付け
た[肩書き]が後で自分を振り回してくれる事になろうとはまだ気付
いていない。と玄関先が騒がしくなってきた。祭り男が帰ってきた
ようだ。
「ねえ、どういう人なの。あの祭りおじさん。?」
「四茸さんの事か。」
「しいたけ?・・めずらしい名前ね。」
風貌も妙だが名前も変わっている。
「あの人東大出てるんだぜ。」
「東大?」
これには春香も驚きである。変人?と天才は紙一重とは良く言った
物だ。いや、この場合、表裏一体と表現した方がいいのだろうか。
「何してる人なの?」
「三年前まで関西の大学で助教授してたらしいけど今は犬の訓練師。」
「へ〜、そうなの・・。なんか勿体無いような気がするけど。」
「側から見ればそうだけど四茸さんは今の仕事が好きみたいだぜ。」
「ふ〜ん。」
大の犬好きであろう事はあの数を見れば分かる。
「あれ全部四茸さんの飼っている犬?」
「そうだなあ、今預かっている犬は五匹位だって言ってたかな。」
では二十数匹は紛れもなく四茸氏の飼っている犬と言う事になる。
「よっぽど好きなのね。」
「中でも一番可愛がっているのがポンというポメラニアンと焼き鳥
屋っていうダックスフンド。」
「焼き鳥屋??それ犬の名前なの?!」
ポメラニアンと言うのはさっき春香の膝に乗って来た「可愛いの」
であろう。ポンはともかく”焼き鳥屋”とはネーミングセンスは最
悪である。
「四茸さん焼き鳥が大好きなんだ。」
「・・・・・。」
出発の時よろしくけたたましい音量が玄関で響き始めた。それに呼
応してピット君も手をばたつかせて喚声を上げている。自分の意思
で動く雪崩が廊下を曲がるとあっという間に春香の眼前に押し寄せ
てきた。やはり二十匹以上の多勢の大移動は豪壮で迫力がある。ピ
ット君は大丈夫かと心配したが四茸氏の犬達とは入魂の仲らしく嬉
春香は優しく犬を抱き上げてやった。(挿絵:A☆KIRAさん)
しそうにじゃれあっている。春香を見上げながら白いポメラニアン
が足元でパタパタと尻尾を振っていた。
「さっきの・・・・。」
春香は優しく犬を抱き上げてやった。
「ポンちゃんて名前なのね。」
四茸氏が「飴屋はポンポン、」と歌っていたのはこの犬の名前と賭
けていたのだろうか。
「おう、どうしたそんな処で?」
四茸氏がいかつい顔を笑みで崩しながら近ずいて来た。
吹雪の中出歩いていたとあって頬は紅潮し全身から湯気をたてている。
声質はやはり異状に高く背は低い。
「そっちはさっきの嬢ちゃんか。」
「こんにちわ。」
「金次の彼女か。」
「ち、違います!!!」
慌てて否定する春香も第三者から男子の恋人の対象として見られた
のは生まれて初めてである。相手がペンギン二ノ宮君と言う事が不
本意ではあったが気持ちとはうらはらに火照ってくる頬が気恥ずか
しかった。
「違うのか。まあこんな可愛い娘がお前みたいな変わりもんに付い
てくれるはずはないわな。」
「はあ・・・。」
春香の横で人並みに落ち込んだ声を出す二ノ宮が可笑しい。
「ピットの散歩か?」
「ええ、まあ。」
「ひどい吹雪だ。けど大雪を受けながら歩くのも悪くない。」
しかしさすがに身体を震わせている。
「これ俺の同級生の五代春香、今日からここの管理人だって。」
"これ”という形容が気なったが取り合えず会釈する春香である。
「よろしくお願いします。」
「へー、こりゃ可愛い管理人さんだ。ま、がんばりな。」
そう言うと犬達に号令をかけて何やら足早に部屋を出ていってしま
った。さすがに良く調教されているらしく雪崩も潮が引くように消
えていく。とあわただしくトイレに賭け込む音が聞こえてきた。どう
やら我慢していたようだ。春香に向かってポンが歓呼の声を上げた。
「お前も行く?」
「春香、言っとくけど。」
「ちょっと馴れ馴れしいんじゃない?」
「あ、ああ。なあ春香言っとくけど・・」
春香の頭が揺れた。この男本当に学年別テストトップの男なのだろ
うか。
「で、何?」
「お前の抱いている犬な、ポンじゃないぜ。」
「えっ!?」
思わず黒曜石のような瞳を覗きこむ春香である。
「ポンはそれそこ。」と二ノ宮が顎で示す足元を見てみれば栗色と
クリーム色のポメラニアンが二匹、次は自分がかまってもらう番だ
と尾っぽで床を掃除している。
「お前の抱いてるのは兄さんのケン。右側のクリーム色のがポンだ
よ。」
「可愛い〜。」
春香が腰を下ろすと待ってましたと二匹が膝の上に乗ってくる。が
さすがに重い。
「あなたがポンちゃん。」
喉を摩ってやるとご満悦である。二匹の名前がケンとポン。頭の中
にふと一つのボキャブラリーが浮かんだ。
「もしかしてこっちの犬はジャンて言うの?」
「良く分かったな。」
三匹合わせて「ジャン・ケン・ポン」である。”焼き鳥屋”よりは
ましかもしれない。
「そのジャンが一番の兄さんさ。」
言われてみれば良く落ち着いて見える。ジャン・ケン・ポン三兄妹
にお株を奪われた感じのピット君がしきりに春香に身体を摺り寄せ
ている。
「ピット君も可愛いわよ〜。」
と小さなお手てを握ってやるとピット君のご機嫌も回復である。
「春香ってもてるんだなあ。」
二ノ宮がしきりに感心している。
「ピット君もこの三匹も知らない人にすぐなつく事ないんだぜ。」
「ふ〜ん、そうなの。」
階段から指笛が尾を引く。揃って床に下りると一鳴きして元気い
っぱい駆け出した。勢い余ってケンが廊下を滑っていく。
「じゃ、俺たちも散歩に行くから。荷物が届いたら手伝ってやるか
らさ。」
「あ、うん。ありがと・・。」
二ノ宮のこのセリフは以外であった。ピット君の頭をペシペシと二
度叩くとクシャミをしながら部屋を出て行く。ピット君も一度転び
そうになりながら遅れまいと主の後についていく。主人と家来のご
とく妙にはまっている人間と動物である。二ノ宮主従を見送ると春
香は再び外の景色に目を移した。
吹雪は当分やみそうもない。この大雪の中ピット君はともかくあの
主は大丈夫なのだろうか。春香の背後に二つのバッグが寂しそうに
うずくまっている。
「手伝ってもらうほど荷物はないのよね・・・。」
空しく独演の春香であった。

続く



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