「さくら坂」作:因幡高美さん、挿絵:A☆KIRAさん




「もしかして桜?・・・」(挿絵:A☆KIRAさん)

「もしかして桜?・・・」
頬を紅色に染めた少女が珍しそうに顔を上げた。
緩やかな坂の歩道の右端に数本の潅木が十数メートルに渡って
植え込まれている。
「まさかね・・・。」
白い息を吐き出しながら寒さの中力強く咲いている薄色の花を
仰いだ。
時は師走。少女は赤いマフラーに付いた雪を軽くはたくと再び
歩を進めた。
”もう勝手にしなさい!!!”
母の叫びにも似た声を聞いたのはもう一時前の事だろうか。
「心配性なのよね。」
一人ごちると手袋に息を吹きかけた。
肩まで伸びたつややかな髪は十分大人の女性のものであったが
顔立ちはまだ幼く愛くるしい。降りはじめた粉雪に混じって春香
の目の前で花びらが舞った。
<皆さんはめぞん一刻と言う物語を御存知ですか?
一刻館というアパートを舞台に美しい管理人と貧乏学生が織り成
す楽しくも感動的なラブストーリー・・。
主人公の名前は五代裕作、
ヒロインの名は音無響子・・。
二人が結ばれたあの夜からほとんど誰も気付かぬうちに幾つもの
春と秋が過ぎ二人の愛娘も思春期の少女から大人の自分の姿を未来
の扉から好奇心一杯で覗き込む年頃になりました。・・>
五代春香15歳。来年早々に高校受験を控えた中学三年生である。
今歩いている道は15年前父と母が幾度となく歩いたであろう懐か
しの坂である。結婚前二人はそれぞれ何を思いここを歩いていたの
だろう。しかし両親の詳しいなれそめなど春香が知るよしもない。
春香は一刻館に着くと両手に持っていたバッグを下ろして雪に煙る
建物を見上げた。思わず声を上げたのは溜息にも似た吐息の後だっ
た。
「何これ!」
眼前の木造二階建ての古い建物は春香にとってはただのアパート
もどきでしかない。今時こんな崩壊寸前,旧態依然の建物に住む
人間などいるのだろうか。時計塔があり一見風情があるように思
われるがその時計塔も灰色にくすみもはや廃屋の一歩手前である。
「ひどい建物ね〜。」
築何十年経っているのか見当もつかない。春香も五歳まではここで
暮らしていたはずだがその時の記憶はほとんど無い。ただ面白い
おばさんとおじさんが良く遊んでくれた事だけはおぼろげに覚えて
いる。しげしげと眺めていた春香がもう一度荷物を手にしたのはゆ
うに十分は過ぎてからだった。
石段をあがり玄関から中をうかがってみると古い木の匂いが鼻に
つく。みすぼらしい外見とは裏腹に掃除だけは行き届いているよう
だ。正面に三室、右側に二回へと続く階段。そして左側の一号室の
奥に今は誰も住んでいない部屋が一つ・・・・。
「誰も居ないのかしら・・・。」
バッグからスリッパを取り出そうとして思わず手が止まる。二つの
うちの一つは保父の父のバッグで出勤前には母がいつも玄関に用意
している。自分の口から出る溜息にも気付かず中を覗いてみると
カーディガン、保父用の教材書が数冊、筆記用具一式。そして大小
の弁当箱が二つ。小さいのは父と一緒に保育園に通う弟の物である。
昨夜二つのバッグをちゃんと玄関に用意してきた自分の苦労はなん
だったのだろうか。
「お父さんったらなんてそそっかしいの!」
と言いつつもここまで気付かず父のバッグを持って来てしまった自分
もマヌケである。
「もうっ!!」
お昼前である。父も出勤してさぞや頭を抱えたであろうがこちらとて
同じである。
「だから携帯買ってって言ってるのに!!!」
玄関に座り込むと思わず空を仰いだ。と、それを合図のように雪崩が
起こった。しかしここは雪山ではなくアパートである。
「な,何?!」
凄まじい大音響に身を硬くしていると二階から雪崩の本体が階段を滑
り降りると春香めがけて襲い掛かってきた。
「!!!!」
気丈で知られる春香も思わず卒倒しそうになった。いや、本当は一瞬
気を失っていたのかもしれない。気が付くと玄関に人目もはばからず
兎のような白い足を投げ出して仰臥していた。周りではまだ雪崩が騒
がしい。
「なにしてんのあんた?」
天から響いてくるような声にようやく正気を取り戻した。が,目の前
は雪崩の正体である黒山の犬だかり。
「きゃーっ!!」
改めて甲高い悲鳴が一刻館中に響き渡ったのは言うまでもない。再び
気が遠くなりかけたが何とか上半身だけは持ちこたえた。
「い,犬??!!」
春香は思わず絶句した。決して犬嫌いな訳ではないが一度にこれほど
の数の犬を目の当たりにしたのは生まれて初めてである。目を白黒さ
せている春香の目の前で舌を出しながら息を切らしている犬、犬,犬
犬,犬・・・!!
と、いきなり小さなポメラニアンが膝の上に飛び上がってくるとつぶ
らな瞳を春香に向けた。珍しく全身白い柔毛で覆われかなり大胆に
パーマが掛かっている。その余りの愛らしさと心地よい感触で何とか
落ちつきを取り戻した。いささかの同様は残しながらも改めて周りを
見回してみるとゆうに二十匹は超える大小の犬が春香を取り巻いている。
「なにしてんの嬢ちゃん?」
気が付かなかったが犬の群れの後方で小柄な男が先ほどの言葉を反芻
している。いかつい面構えとは対照的に声質が以上に高い。
「あの,私春香です!」
おかしな態勢と先ほどの雪崩の名残で当を得ない返答になってしまっ
た。
「ふうん、そう・・。」
が、男の方は妙に納得したように欠伸をしながら頭を叩いている。
春香は思わずその奇妙な出で立ちに眉をしかめた。この暮れの寒空に
上は裸に下は白の山袴,唯一羽織っているのは鮮やかな赤色で背に
(祭)と大きく染め抜かれた卸たてのような紺のハッピ、裸足で白の
腹巻に手を突っ込んで、おまけにまだ三十代だと思われるのに剃って
いるのか一本の髪の毛もなく見事につんつるてん・・と思いきや、片
方の揉み上げの部分だけが20センチほど垂れている・・・。背丈は
春香と同じ位しかなく犬の群れの中に埋もれていた。犬達にせかされ
ながらも大きく伸びをするとハッピを襷がけにし持っていたタオルで
芸術的な頭を奇麗に覆うと顔を叩いて気持ち良さそうに一人で気合を
入れている。春香は犬の大群と漫画の中から飛び出して来たような奇
妙奇天烈な祭り男の登場に目をパチクリさせていた。
「晴〜れた空〜か♪・・・何だ晴れてね〜や。」
鼻歌を歌いながらサンダルを引っ掛けている。
「雪か・・。譲ちゃんも散歩どうよ?」
慌てて首を振る春香を尻目に「ゆ〜きやコンコン、飴屋はポンポン、
食っても食っても・・・・・・・♪」と機嫌宜しくさっさと玄関から
出ていってしまった。犬はというと雪降る寒さも何のその、我先に男
を追って元気に表へ飛び出していく。その勢いはまさに雪崩である。
春香の膝の上でおとなしく伏せっていたポメラニアンも一声挨拶する
と遅れずに走り出した。視界からあっとゆう間に消えて行く祭り男と
犬たちの後姿をお尻をついたまま見送りながら春香はあっけに取られ
ていた。
「あそこのフレーズはあられでしょ!」
下らない事に気を取られながらも母の
”あそこは若い女の子が暮らせるところじゃないの!”
と言う言葉を思い出していた。
「・・何だったのかしら今のは?」
そう呟きながらもスカートが膝の上まで捲くれ上がり小鹿のような足
をさらしている自分のあられもない姿に気付いて小さな声を上げた。



・・・つづく・・・





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