「鬼姫の災い〜スクランブル!ラムを奪回せよ!!外伝〜
作.黄色い流れ星





☆.流れ星
微かに霞掛かった早春の満月が、突然の停電にみまわれた友引町を淡く照らし出してい
た。
その一角の空き地に老僧が一人炎の前に座している。と、言っても別に護摩を焚いて行を
おこなっている訳ではない。
火には煤けた鍋が掛けられ、脇にはテントが一つ張られていた。
腫れぼったい目蓋に薄い眉、潰れた鼻、大きな口はややとがり気味で薄い唇と立派な福耳
が巨大な顔に大雑把に配置されている。顔だけ見ると大男に思えるが、背丈は子供程しか
無い。
揺らぐ炎に浮かび上がった異相の主は、言わずと知れたチェリーである。
野天の下を生涯の修行の場と定め、剃髪の必要も無い歳になった今も雲水に身を窶して、
年の三分の一は深山の霊場にての荒行を怠らない。
現に今回も数週間に及ぶ山籠を終えて友引町に帰り着き、テントを張り終えたところであ
った。
人には奇行と映る彼の行動と異様な風貌の下には意外と清らかな心を持っている。
しかしその事を知る者は少なく、奇人として見ている者の方が多い。
だがその事を本人はかえって楽しんでいる節さえある。
少なくとも、最近多く見受けられる、宗教法人の優遇税制の影で銭儲けに走り、大した霊
能力も無いくせにテレビで除霊の真似事を行なうタレント坊主などとは全く違う人種であ
る。意地汚い事を除けば、清僧と言えるかも知れない。
その清僧の気に見知った物の怪の気が触れてきた。
「おお、ネコか。こっちに来て火に当らぬか? まだまだ夜は冷えるぞよ。もっとも食い
物はあらかた喰うて終うたがの」
チェリーの呼びかけに応じて巨大な怪猫が現れた。
皆からコタツネコの愛称で呼ばれるこの化け猫は、前世において炬燵に未練を残し凍え死
んだ後も今だ成仏出来ずにいるが、別段人に害する事も無く、いつしかこの町に住み着い
ている。
動物の本能でチェリーの清らかな心を感じ取ったのか彼に懐き、よくここに来ては食事を
共にして、泊まっていく事も多い。
チェリーはコタツネコのために火に数本の薪を加えて席を勧めながら、その身体にまだ残
る人とは違う妖気のカスを敏感に嗅ぎ取っている。
だが、その気にはコタツネコ同様、邪悪な気配は感じられない。
「今まで友達と一緒じゃったのか。ほお、お主聞こし召しておるようじゃな。」
物の怪達も春間近な満月の夜には心が浮立つものらしい。
コタツネコは「食べ物は要らない」と言うように顔の前で手を振りながら火の前に座ると
どこからか大きなトックリを取り出してチェリーに勧めた。
「これは般若湯(仏教用語で酒のこと)ではないか?拙僧にこれを飲めと申すのか。修行
中の身ゆえそれは・・・」
とか言いつつも手にはいつの間にか湯のみが握られ差し出されている。
「これはまた口当たりの良い般若湯じゃな。フム、友達の差し入れ・・・。ほぉ、海洋深
層水で仕込んだ特別の・・・」
チェリーは心に流れ込んでくるコタツネコの言葉に相槌を打ちながら湯飲みを傾けてい
た。またコタツネコの方も何やら嬉しそうに酌をして、返杯を受けたりている。
「先程の停電のお陰で、今宵の月は一段と風情があるではないか・・・。ワシは今時のお
ぼろ月が好きでな。それを愛でながら傾ける一献はまた格別じゃのお」
おぼろ月夜に浮かれるのは何も物の怪ばかりでは無いようである。
「この停電はまたあの二人の痴話喧嘩が元とな・・・。危うく巻き添えを食いかけ
た・・・。全く困った者どもじゃて」
再び流れ込んできたネコの言葉に苦笑した時に、一際大きな流れ星が不自然すぎるゆっく
りとしたスピードで夜空を横切った。
古来より流れ星やほうき星(彗星)は凶事の前兆と言われている。
チェリーはその大きく青白い流れ星に、美しさ以外の物を感じ身構えた。
一瞬、目の前の町並みが湖沼の風景と重なって観え、その静かな水面に今の流れ星が起こ
した小さなさざ波が、次第に大きなうねりへと成長していく。その波によって池(町)に
住む者達が翻弄される姿が白日夢のごとく眼の前に浮かんだのだ。
いわゆる予知夢である。
そして、湖沼の風景が再び元の町並みに戻った時、今度は小さな地震が起った。
「不吉じゃ」
チェリーの口から呟きが漏れた・・・。

翌朝チェリーは未だ寝ているコタツネコを残し、生活の糧を得ると同時に、修行の一つで
もある托鉢に出掛けた。
特に今朝は托鉢中細心の注意を払い、凶事の前兆や邪悪な物の怪の侵入の痕跡を探ってみ
たのだが、彼の五感には異常は認められなかった。町は平穏そのものである。
「フム、さしたる異変も無いようじゃ。後はあそこだけじゃな・・・」
あの流れ星に感じた悪い予感や白日夢は般若湯の悪戯だったのか?
何にせよ不吉な予感など外れるにこした事はないのだ。
何か釈然としない物を残しながらも、突然振り出した雨に急かされ、一先ず空き地のテン
トに戻る事にした。

テントに帰り着いた時にはすでに雨は上っていた。どうやら通り雨だったらしい。
「ネコやお主も雨で帰りそびれたのか? もうすぐ昼時じゃ。飯を食っていくが良い。ワ
シは米を研ぐゆえお主は火を熾しておいてくれ」
編み笠を取るとテントのハリに引っ掛け、先ほど托鉢で得た米を鍋にあけ外に出た。
コタツネコは雨で湿ってしまった薪に焚き付けの火が移らずくすぶらせている。
ちょうどそこへオマル型のエアスクーターにまたがったテンが頭上を通りかかった。
「オーイ、テンよ少し寄っていかぬか。ネコが難儀しておる、火を熾すのを手伝ってく
れ」
しかし、テンはチェリーの呼びかけが聞こえぬのか脇目もふらずに飛び去っていってしま
った。
「あやつ何を慌てているのじゃ?・・・ネコよ、やはりお主が火を熾さねばならぬようじ
ゃ。よろしく頼むぞ」
煙にむせて眼を真っ赤にしながらも、律儀に火吹き竹を吹いていたコタツネコの努力のか
いあって、勢いを増した火に米に多めの水を張った鍋をかけた。
やがて粥状になったのを見計らい、とっておきの『鯖の味付け缶』を空けるとその身をほ
ぐし入れて一煮立ちさせる。塩で味を調えた後、仕上げに托鉢の合間に摘み取ってきたノ
ビルの根とフキノトウを刻んで薬味に入れた。
春の香りが食欲をそそる、チェリー特製の雑炊である。見た目はともかく味は悪く無い。
チェリーは二つの器に雑炊を注ぎ分け、一つをコタツネコに手渡した。
「わしは昨夜から胸騒ぎがしてならぬ。何か良からぬ事が起こる気がするのじゃ。お主も
どんな事でもよい、何か不穏な動きに気が付いたら知らしてくれぬか」
頼みが聞こえたのかどうかコタツネコは手にした器をじっと見つめている。猫舌で冷める
のを待っていたのだ。
「チェリー。ジャリテンを見かけなかったか?」
パーマにカクガリと仲間内で呼ばれている二人の少年が声を掛けながら近付いてきた。
食事を終えたら訪ねようと考えていた友引高校の生徒である。
「何じゃお主たち授業中では無いのか?さてはさぼって抜け出してきおったな。これから
サクラの所へ出掛けるところじゃ、ついでに言い付けてくれようかの」
「まあまあ、その事は置いといて。ジャリテンを知らないか?」
「見たような気もするが・・・。ワシは牛丼が好きでな」
今、食事をしながら暗に牛丼を要求するところにチェリーのしたたかな性格がうかがえ
る。
「ジャリテンの事を知ってるのか」
「教えてくれ、牛丼一杯奢るからさ」
「教えぬでも無いが・・・何ゆえテンを捜しておるのじゃ」
「今日ラムちゃんが学校を欠席してるんだが、あたるの奴その理由をどうしても言わない
んだ」
「それをメガネが気にして、ジャリテンなら何か知ってるかもって言い出してさ」
メガネとはラムの熱烈なファンの少年で、彼をリーダーとして目の前の二人とチビと言う
名の少年の四人でラムのファンクラブの様な物を作っていたはずである。
「成る程。それでお主達はテンの行方を捜しておると・・・。テンならば先ほどオマルに
乗って飛び去って行きよったぞ。拙僧の呼びかけも聞こえぬほど急いでいたようじゃが」
「オマル・・・?ああ、例のエアスクーターの事か。それで、どっちの方へ?」
チェリーはテンの飛行経路を指で示しながら、
「じゃから、アッチからコッチじゃ」
「アッチは友引高校。で、コッチの方角は・・・面堂の家だ!! やっぱりメガネの言う
通り面堂がラムちゃんを?」
「あいつ、早退するって言ってたぞ。訊ねていっても入れてくれないだろうし・・・。こ
れは帰ってジャリテンが何をしに学校に来てたのか調べんといかんな」
慌てて立ち去ろうとする二人に、
「これ、お主たち牛丼を忘れておるぞ」
「すまん、今持ち合わせがないんだ。また今度メガネの奴に奢ってもらってくれ」
言い残すが早いか少年たちは走り去って行った。
「全く、騒々しい奴らじゃ。おかげでせっかくのご馳走が冷めてしもおたではないか」
口では悪態をもらしつつも、今の二人がもたらした知らせが例の不吉な予感に無関係では
ないとチェリーの勘は告げていた。


☆	.災い
校門でチェリーはコタツネコと別れた後、勝手に授業中の校舎内に入りると保健室の前ま
で来て、
「サクラよ、入るぞ」
彼にしてはめずらしく声を掛けて室に入った。
「これは叔父上。いつ、戻られました」
サクラと呼ばれた若い女性が回転椅子を回し振り向いた、チェリーの姪とは信じられぬ美
女だ。副業にこの高校の保険医も勤めているが、本職は巫女である。
「昨夜戻ったところじゃ。何か留守中かわった事は無かったかの?」
サクラはお茶を振舞うためにポットのお湯を急須に注ぎ入れている。
「かわった事と申されますと?」
診察用の丸椅子に登りあぐらをかいたチェリーは、差し出された湯飲みを手にし、すかさ
ずもう一方の手は机の上にある煎餅の袋に伸びる。
「いや、実は昨夜より何か良からぬ事が起こりそうな気がしてのぉ。それで色々と歩き回
っておるのじゃが・・・」
サクラは伸びてきたチェリーの手から煎餅の袋を遠ざけた。
「悪い予感ですか。それで何か分ったので?」
それでも執拗に伸びてくるチェリーの手をサクラは払い退ける。
「いや、町の方はいたって平穏そのものじゃ、特に不信な点は無い。そこで、残るはこの
校内だけと思うての・・・」
やがてチェリーは攻防戦の末に一枚奪取した煎餅を口にはこんだ。
「とくに、かわった事と申されましても・・・」
サクラは美女にありがちな鋭い目付きで睨み付けたが、チェリーは清ました顔で眼光を受
け流している。
「あたるとラムがまた喧嘩を仕出かしたと聞いたが、お主知らぬか?」
サクラは煎餅の攻防を諦め、袋を二人の中央に置き直し自分も一枚取り上げた。
「さすがは叔父上お耳が早い。私も先ほどテンより聞きましたが、それが何か」
「ほー、テンよりとな。詳しく話してくれぬか」
サクラはテンから知らされた事の顛末を話し始めた・・・・。
「すると、ついにラムがあたるを見限って、今は面堂終太郎の所に身を寄せておると」
「諸星の日ごろの行いでは自業自得と言うものでしょう・・・。叔父上いかがされまし
た?」
話を聞き終わったチェリーはなにやら難しい顔つきで考え込んでいる。
「今回の痴話喧嘩。ちと根が深そうじゃ・・・。お主ラムとあたるの関係をどう考えてお
る?」
「どうと言われましても。今まで諸星に愛想を尽かさなんだのが不思議と言えば不思議。
まぁ、面堂とて大して変わりはしませぬが。あれより多少はマシかと」
「その様な事ではない。ワシが言っておるのはラムの本質の事じゃ」
「ラムの本質ですか?」
チェリーの質問の意図が分からずサクラはオウム返しに聞き返した。
「さよう。ラムは鬼じゃぞ」
チェリーは断定するように言い切った。
「まぁ、鬼には違いないでしょうが、ラムに邪気は有りませぬぞ」
「無論、ラム個人に邪気、邪心は無い。ひたすらに一人の男を想うだけの優しく綺麗な心
をもった愛らしい娘じゃ。それゆえ皆に好かれ受け入れられておる。無論拙僧も好意をも
っておるがのぉ。しかし・・・本人にその気が無くとも、また好むと好まざると周りの者
に祟り、災いをもたらすのが鬼の鬼たるゆえんじゃ。お主も話しに聞いていよう、ラムが
始めて我々の前に現れた時は、災いをもたらす侵略者であった。そしてその後、鬼の魅力
の虜になった少年たちが、ラムを再び召還しようと試みた。それだけで地球の石油資源が
枯渇しかけ、大騒動となったことを」
サクラはこの二つの事件が起こった時は未だラムやあたると面識は無かったが事の顛末は
承知していた。
「確かに始めはその様なこともあったやに聞いておりますが、その後は多少の騒動はあっ
ても災いと言う程のことも無く、ラムは地球に溶け込んでいると思われますが」
サクラの反論に、チェリーはゆっくりとお茶をすすってから口を開いた。
「確かにその通りじゃ。それはなぜじゃと思う?」
チェリーの問いに再びサクラは答える事が出来なかった。
「それはな、諸星あたるのおかげじゃ」
「諸星がですか?」
「さよう、奴がラムと暮らし始めたからじゃ」
今まで考えてもみなかった事柄である。
サクラは手にした煎餅を口に運ぶ事も忘れ話に聞き入っている。
「ラムの心は一途にあたるに向いておるでのぉ。さよう、あたるの持って生まれた厄災を
ことごとくその身に引き受ける特性が、ラムの放つ災いのあらかたを吸収していると言え
ば分かりやすいじゃろ」
「それではまるで諸星は聖者の様ではありませぬか」
「まさか、それ程のものではあるまい。しかしあ奴の無類の煩悩に裏打ちされた、驚異的
な生命力に、多少の事ではへこたれぬ精神力と人並み外れたバイタリティがさまざまな災
いを取り込んで浄化あるいは中和していることもまた事実じゃ。考えてもみよ、お主とて
奴に会なんだらその命、今頃は燃え尽きていたやも知れぬではないか」
チェリーやサクラ自身にも祓うことが出来なかった諸々の病魔が、サクラから諸星あたる
に鞍替えしたお陰で病弱だった彼女は健康過ぎるほどに健康となれた。
「た、たしかに・・・。あの時はいつの間にやら死神まで付いておりましたゆえ・・・」

チェリーの説く『鬼の災い』を諸星あたるが未然に防いでいると云う説はある意味で正鵠
を得ている。
それは、後年ラムの許婚と称する男が現れた事件の最中、些細な誤解が元で二人の心が擦
れ違い、ラムがあたるとの決別をも決意した時、人類が滅亡しかねぬ巨大な災いが世界を
襲った事からも明らかであろう。
鬼は祟り、災いをもたらす。
しかし、ラムに罪は無い。
いわばラムの持つ強い個性が、ラムの意思とは無関係に周りに波紋を起こすのであり、時
としてその波紋が大きくなり過ぎ、周囲に被害をもたらすだけである。
強い個性。それも誰からも好かれる愛らしさを責めるのは間違いであろう。
繰り返すが断じてラムに罪は無い。
チェリーの言葉を借りれば「さだめじゃ」とでも云えようか。

「すると、諸星のもとをラムが去った今、ラムに関わりが有る者達に災いが降りかかる
と?」
「その可能性は高いじゃろう。しかしどの様な形でそれが現れるかまでは、起こって見な
ければ分からぬ」
「それでは二人の仲が元に戻れば災いは未然に防ぐ事が出来るのでは?」
「理屈の上ではその通りじゃが・・・。こればかりは他人がとやかく言った所でどうなる
物でもあるまい」
「しかし、事の次第を説明すればあるいは・・・」
「それはならぬ。よいかラムに罪は無いのじゃ。この事は他言無用ぞ」
口に戸板は立てられぬ。とかく悪い話は広まりやすいものである。
陰陽道や気学的知識のあるサクラは別として、この説は世人には理解し難い思考方であ
り、誤解されて受け止められるかもしれない。
場合によって人々は諸悪の源を鬼に求める恐れがある。
チェリーはラムの人柄をよく知らぬ心無い者から、ラムが糾弾され追われるような事態は
望んではいない。だから口止めをしたのだ。
それはサクラにも分かった。
「それでは、ラムはこの先ずっと鬼として祟り続けるのでしょうか?」
サクラはラムの行末を案じて聞いてみた。
「そうさのぉ、あたるがラムの想いを受け入れ、二人が身も心も結ばれれば悪しき鬼の魔
性も消えるやもしれぬ」
「身も心も結ばれればですか・・・」
「愚か者。何を想像して紅くなっておる。何も今すぐにでは無いわ、お主それでも聖職者
か?」
サクラはチェリーにたしなめられマスマス頬を紅く染めていた。
気が付くと机の上にあった煎餅の袋はいつの間にかチェリーによって空になっていた。
『やはり叔父上にはかなわぬ』
今日のサクラは不思議と素直にそう思えた。
しかし、話を聞いた以上捨置く訳にもいかない。
「私が諸星に会ってそれと無く話を聞いてみます」
「ふむ、それも良かろう。拙僧よりお主の方が奴も心を開くかも知れぬ。ではワシは別の
方からラムについて調べて見よう」
チェリーは言い置くと保健室から出て行った。


☆.時計塔機械室
コタツネコはいつもの様に校長室に招き入れられた。
「コタちゃん、いらしゃい」
この部屋の主はいつ来ても快くもてなしてくれる。
しかし、今日はいつも部屋の中にある筈の炬燵が見あたらない。
「どうしました?・・ああ、炬燵ですか。もうすぐ春ですからねぇ、少し早いかとも思っ
たのですが、仕舞ってしまいましたよ」
コタツネコは未だ呆然と立ち竦んでいる。
「そんなに炬燵に入りたっかたのですか・・・困りましたねぇ、今日はこれからPTAの
役員の方々がお見えになるんですよ。明日また出しておきますから。今日のところ
は・・・そうだ、時計塔の物置に炬燵はありますから、そこで入られてはいかがです。コ
ンセントもちゃんと有りますし。ただ他の先生方や生徒達には内緒ですよ」
校長の提案にコタツネコは嬉しそうに頷くと、校長室を出て時計塔を目指した。
時計塔の機械室の一角に物置として使われている小部屋がある。
元々は時計のスペア部品や整備に使う工具を仕舞うために作られた部屋らしい。
現在は委託業者が定期的に時計の整備に訪れるようになったため不要となり、今は使わな
い教材等を仕舞う物置として使われている。そこに炬燵はあった。
コタツネコはいそいそと炬燵を組み立てると、さっそく潜り込み大きな顔を擦りつけ頬擦
りをしてる。彼にとって、炬燵さえ有ればそこは安住の地であるのだ。
ゴロゴロと満足そうに喉を鳴らした後、文字通りネコは炬燵で丸くなりいつしか寝息を立
て始めた・・・。
「なんだよ、お前らまたこれかよ。他にもっとありそうなもんだろーが」
「安心しろ、今日は話だけだ」
「チビから伝言聞かなかったのか」
「言ったよォ、なっ、なぁメガネ言ったよな、俺」
「なら他に言う事は無い、これは俺と面堂の問題だ。ほっといてくれ」
心地良い眠りは機械室からの聞き覚えのある声で妨げられた。
何か異様な雰囲気だ。しかし、炬燵から出るのも億劫である。
コタツネコにとって、機械室を覗かずとも鋭い聴覚と嗅覚で不意の訪問者の正体を探るこ
とは容易い事であった。
先ほどチェリーのテントに訪ねて来たパーマとカクガリ、その仲間のメガネ、チビの四人
組と諸星あたる。
中でもあたるとは縁が深い。
あたるの部屋で炬燵に入り、時には食事にも預かる。云わば諸星家は校長室やチェリーの
テントと同様彼のテリトリーの内である。
どうやらあたるがラムの事で、他の四人から責められているらしい。
そう言えばチェリーもあの二人の事を気に掛けていた。
コタツネコはそっと聞き耳を立てた。


☆.私立清廉女子大学付属中学校
「すると、お兄様はすでにお帰りになってみえるのですね。それであの方の事は何かわか
りまして?」
授業を終えた面堂了子は迎えの駕籠に乗り込む前に、黒子からの報告に聞き入っていた。
「現在ラム様は先ほど訪ねてきたテンと言う名の幼児と共に、若様の洋館内におられる事
は確認できております。その後も情報収集に努めておりますが、ガードが思いのほか固く
未だ詳細は不明です。」
「わかりました。引き続き探索を続行するように」
黒子に指示を下しながらも、この騒動が楽しくて仕方が無いとでも言う様に了子の顔はい
きいきと輝いている。
「何やら取り込んでおる様じゃな」
唐突に了子は背後から声を掛けられた。
「これは、チェリー様。いつからそこに」
「いや表を通りかかったら姿が見えたのでの」
無論これは相手を警戒させないための方便である。
サクラの話では、あたるがラムのUFOに連絡を取った時に黒子が出たらしい。
本当は了子よりラムの情報を得るためにわざわざ時間を見計らい中学校に出向いたのであ
る。
「いきなりお声を掛けられて、驚きましたわ」
口ではそう言いながらも了子はチェリーを歓迎しているようである。
ボディガードを兼ねている黒子達のガードを掻い潜って、了子の背後に人が立つような事
はあってはならない事であり。校内とはいえ彼らは油断していなかったはずだ。
仮にチェリーに害意が有れば了子は今頃無事ではいない。
それをチェリーは黒子達に気配も覚らせずに易々と了子に近付き話し掛けている。
本来なら黒子達はそくざに何らかの攻撃をチェリーに与えなければいけないはずである。
しかし、黒子達はチェリーの行いに、感嘆の思いこそ抱いたが全く敵意を示していない、
それは、チェリーが了子の「師」だからである。
オカルトに興味が強く、その手の魔術を独学で身に付けようとしていた了子は、過去に諸
星あたるに覚えたての催眠術を試したことがある。
もっとも、未熟な催眠術は失敗に終わり、あたるはかかったふりをして了子にじゃれ付い
ていただけで実際は効いて無かなかった。
その時その場に居合わせたチェリーは、了子が配合した幻覚剤の香にナツメグを入れ忘れ
ていることを指摘している。
これは、チェリーが仏法の呪法はもとより仙術、陰陽道、風水、果ては、西洋の占星術や
魔術にも造詣が深い事を示すものであり、さすがと言えよう。
この失敗がしめすとおり独学ではやはり限界があった。
指導者の必要性を痛感した了子は、チェリーに教えを乞うた。
またチェリーも了子に天性の才能を認めている。
それ故に危うかった。強い呪術は時として術者にも危険を及ぼすからだ。
チェリーは了子の師と成った。
この事は二人の他は黒子達しか知らない。

「そろそろ、新たな術でも授けようかと思うたのじゃが。都合がわるそうじゃの」
「残念ですが今日はご教授をお受けで出来そうもありませんわ」
「ふむ、それはかまわぬが・・・。そう言えばラムが如何したとか申しておったのぉ。何
かあったのか?」
「まあ、ラム様にご興味がおありですの」
「まんざら知らぬ仲でも無いしのぉ、なにやら面白そうじゃ、拙僧にも話して進ぜよ」
本来、女性はお喋りである。まして多感な少女時代はなおさらであろう。
了子とて例外ではなかった。
「昨夜、お父様とお兄様をまじえて野点をおこなっていた最中に・・・」
了子は昨夜からの出来事を話はじめた。
「・・・機体から救出されたのちに治療を受けられ、今はお兄様の保護下にあるようです
わ」
「すると、ラムは怪我をしておるのか?」
「いえ、メディカルセンターから若の館に移るさいに目撃された情報によりますと、ご自
分でお歩きになられていたよしに、特にお怪我は無いご様子です」
これは、黒子の言である。
「それは、一先ず安心じゃ。しかし、ラムは何ゆえお主の兄の所へ参ったのじゃろうかの
ぉ。それも、着陸に失敗するほど慌てて」
「ええ、私も気になって調べて見たのですが、お兄様のガードが固くてよく分かりません
の」
ラムはやはり面堂終太郎の元に居る。
いや、了子の言うように保護下にあると言った方が正確であろう。
面堂はかなり神経質になって匿っているようだ。
「やはりラムはあたるを見限って、お主の兄に乗り換えた。そう見るのが一番自然じゃ
が」
「まさか。諸星様とラム様が別れるなんて考えられませんわ。わたし占って見た事があり
ますもの、喧嘩ばかりしているようで本当はとても愛称がよろしいんですよ」
「ほお、お主の占い、なかなか良い線をいっておるな。腕を上げたではないか」
「まあチェリー様も同じ意見で」
チェリーに占いの上達を誉められて了子は微笑んだ。
「ふむ。愛称と云うよりあの二人の仲にはもっと大きな運命的な力を感じるがの。お主も
いずれそれが分かるじゃろう」
「運命的な力・・・なんて素敵な。すると諸星様はどうなさるお積りかしら。きっとラム
様を取返しにお兄様の元へ乗り込んでみえるんだわ」
了子は益々眼を輝かせている。
「あるいはそうなるやも知れぬ。その時お主の兄はどう出るかの」
「もちろんお兄様の事ですから力尽くでも阻止しますわ」
面堂が本気に成って、総力を挙げて阻止したらいかにあたるとはいえども無事には済まな
いであろう。
「やはりそうなるかの。お主の兄も困ったもんじゃ」
面堂にとって諸星あたるはラムを不幸にする諸悪の権現と映るのだろう。また恋敵でもあ
る。
あたるさえいなければラムの心も自分に向くと考え、殺意さえ抱いているのかも知れな
い。
はたから見ているとあたると面堂は憎みあっているように見える。
しかし、チェリーはその憎み方が、近親憎悪に近いと見抜いていた。その実あの二人を結
んでいるのは友情だと考えている。
もし、ラムと言う要素が無ければ、意外とこの二人は気の合う友達であったかもしれな
い。屈折した、悲しい友情だ。
一つの想いに突っ走るのが若者の美徳であり、また危険な所である。
もし、一時の感情に駆り立てられ、今宵邪魔者を亡き者にしてラムの心を手に入れたとし
ても、そんなものが永く続く訳は無い。やがてラムの心も失うであろう。
そして他にも大事なものを無くしてしまった事に気が付くのだ。
彼も『鬼の災い』にとらわれているのかも知れない。
「こうしては居られない。お兄様のサングラス部隊と私設軍の動向も探るように邸内の黒
子達に連絡を。私も至急帰ります」
チェリーの思いとは関係なく了子はあらためて黒子に指示をだしている。
彼女がこんな素敵な騒動を黙って見ている筈が無かった。
この娘も困ったものである。
兄を困らせるのが大好きなのだ。かといって兄を嫌っている訳では無い。むしろ誰より慕
っている。だから余計兄の邪魔をしたがる。これも屈折した愛情表現であろう。
しかし今は了子に構っている余裕は無かった。
「いや、面白い話を聞かせてもろうた。拙僧はちと用を思い出したのでこれで失礼する」
チェリーは言放つともう校門の方へ歩き始めている。
登場と同じく退場もいきなりであった。


☆.嫉妬
あたるがカバンを取りに教室に戻るとしのぶが居た。
「しのぶ、まだ帰らないのか」
「少し用事があったの、でももう帰るわ」
しのぶはカバンを取って机から立ち上るとあたるの方へ歩み寄って来た。
「メガネ達は?」
「もう帰ったわよ」
「そうか・・・」
「あたる君・・・。前にもこんな事があったわね」
「しのぶ・・・?」
以前、メガネ達に機械室に呼び出された時は、途中から現れたしのぶに「私、納得できな
いの」と言われた後、メガネ達に受けたより凄惨なお仕置きをうけるはめになった。
「あのなあ、今回はどこからも招待状は送られて来てないし、第一今回は俺が振られた方
なんだぞ」
あたるは幾分うろたえぎみに応えた。
「分かってるわ、そんなこと」
しのぶは少し微笑んで応えた。どうやら今回はあたるに危害を加える気は無いらしい。
しのぶの微笑みはあたるへのいたわりなのかもしれない。
「あの連中にだいぶやりこめられたようね」
「なーに、今日は紳士的な話合いだけさ」
「だったら余計堪えたんじゃない?」
「そ、そんな事あるもんか。」
「そう、ならいいんだけど・・・。 あら、もうこんな時間。すっかり遅く成っちゃっ
た。家まで送ってくれる」
しのぶはあたるの返事も待たず、さっさと教室から出て行ってしまった。
あたるは何か言いたそうに口ごもっていたが、やがて自分のカバンを取ってしのぶを追い
かけた。
「いやー、しのぶからのお誘いとは嬉しーネ」
しのぶに追い付いたあたるは、並んで歩きながらいつもの軽い調子で話し掛けた。
「こうして二人で帰るのも久しぶりだな。なにか食べて行こうか」
「・・・・」
言いながらあたるはしのぶの肩に手を回した。
「それじゃあ、映画にする? それともどこか静かな場所で二人の愛に付いて語らない
か」
「あのねぇ。大体あなたがそんな風だからラムに・・・」
しのぶは肩の手を振り払って睨み付けた。しかし、あたるの眼はいつも女の子に声を掛け
る時のニヤケた目付きでは無い。
どこか悲しみに似た色が刷かれた眼差しだった。
「ご、ごめんなさい」
「いいさ、本当の事だから。とうとうラムにまで振られちゃったみたいだ。ハハ
ハ・・・」
以外であった。しのぶはこんな事をあたるのが言うのを始めて聞いた。
「あたる君・・・。大丈夫?」
「ハハ・・。振られるのには慣れているさ。立ち直りは早いんだオレ。知ってるだろう」
「そうね」
嘘である。
確かに日頃からあたるは、綺麗な女性と見ると見境無く声を掛けては肘鉄を喰らってい
る。しかし、それは彼にとって女性への挨拶のようなものであって、恋愛にまで発展した
ことはついぞ無かった。
こんな事を口にする事自体かなり参っている証拠であろう。
それでも、わざとしのぶを口説いて強がっている。
分かっていても、しのぶは『そうね』と答えるしか無かった。

並んで歩く二人をサクラが見守っていた。
チェリーの話を聞いた後あたるを探していのだが、見つけた時には既にしのぶと歩いてい
た。
そして声を掛けるタイミングを逃がし、いつの間にか二人をつけるような形になってしま
ったのだ。

「これで、ラムの束縛から解放さたんだ。思えばあいつが女房気取りで押し掛けて来てか
ら散々だった。他の子にチョッカイを出しただけで電撃リンチの日々・・・」
「そうだわね」
「そのうえ、しのぶにまで振られた」
「それは違うわ」
「え・・・?」
今まで聞き役に徹していたしのぶが始めて異を唱えた。
「確かに始めは、意地になってラムとあなたを取り合ったわ。でも止めたの。なぜだか分
かる?」
確かに、ラムが来るまであたるとしのぶは恋愛関係にあった。
そして、ラムが来てから二人の間はギクシャクしたものと成り、やがてしのぶはあたるを
捨てて転校して来た面堂の元に走った。
「そりゃ、ラムの奴が邪魔したり、面堂の奴が転校してきたから・・・」
「それは、結果的にそうなっただけ・・・。私が振ったんじゃ無いの。あたる君の心の中
で私よりラムの占める割合が大きく成っていったから・・・。それが分かったか
ら・・・。本当はあたる君が私を振ったのよ」
「そんなこと・・・」
「あるわ。自分で気が付いてないだけ。いいえ、それとも気付かない振りをしているだけ
かしら」
「・・・・・」
「今まで、こんな事誰にも言わないと決めていたのに・・・。とうとう言ちゃた。でも、
おかげで少し気持ちが軽くなったわ」
「・・・・」
あたるは何も応えることも出来ずに無言で歩んでいる。何か言えばしのぶを傷つけてしま
いそうだ。それが恐かった。
「さあ、今度はあなたの番よ。 いいの、このままで?」
「・・・・。今、ラムに必要なのは俺じゃ無くて面堂の奴だそうだ」
あたるは重い口を開いた。
「ラムにそう言われたの?」
しのぶは意外そうに聞き返した。
「いや、今日面堂にラムの事を問い詰めた。俺に勇気が有ったら確かめに来いと言いやが
った」
なんの事は無い、ラムが直接言った言葉では無いらしい。
「で、それを信じたわけ」
「嫌な野郎だがこんな事で嘘を言う奴じゃない」
「確かに面堂君は嘘を言って無いわ。本心からそう思ってるでしょうね」
「・・・・」
あたるは黙って聴いている。
「でもそんな事ならあの連中でも言うわ『本当にラムさんを幸せに出来るのは俺だ』っ
て」
「それじゃ、面堂は・・・」
「ラムの本心は分からないじゃない。いまさらラムが心変わりするなんて信じられない。
ラムは一途にあたる君だけを見てきたのよ。ラムの気持ちはどうなるの。愛想を尽かすの
だったらとっくの昔に星に帰ってるわ」
「じゃあ、ラムは未だ・・・」
「あーもう、じれったいわね。そんな事あたる君が本人に聞かなくちゃ始まらないじゃな
い」
しのぶはあきれた。
普段はプレーボーイを気取っているくせに、肝心な時にてんでだらしが無い。
「しっかりなさい。そんな事じゃ本当にラムを取られちゃうわよ」
あたるはしのぶに背を向け立ち止まっている。
その肩が震えていた。
しのぶは声を掛けようとして思いとどまった。
彼の事だ、まさか泣いてはいまいが、その顔を見られたくは有るまい。
しのぶは先に歩き、角を曲がった所でブロック塀に背を預けてあたるを待っていた。
普段はラムの事を気にも掛けてない様な態度を取っているくせに、いざと成ったら、こん
なにも同様している。
そんなあたるを見て、何かが胸を締め付けた。
それは、いわれの無い嫉妬であった・・・。
やがて角を曲がって現れたあたるの顔には生気の様なものが感じられた。
「やっとましな眼になったわね」
「ああ、何かふっ切れたよ。ありがとう」
「別にお礼なんか言わなくてもいいわ。幼馴染でしょう」
「幼馴染か」
「そう、幼馴染。だからほっとけなかっただけ」
「いや、でも、ありがとう。お礼に今度デートしよう」
「フフッフ、そう言う事はラムを無事連れ戻してから言いなさい。その時は」
「その時は?」
「思いっきり張り倒してあげる」
「ハハハ」
「フフフ」
今日あたるは始めて笑った。

「青春をしておるのう」
二人を見守るサクラにチェリーが声を掛けてきた。
「叔父上」
「あたるの事が気になって来てみたのじゃが、どうやらわし達の出る幕はなさそうじゃ
の」
「その様ですな。これで諸星がラムを迎えに行き、元の鞘に収まれば災いも免れましょ
う」
「ふむ、そうなってくれれば良いのじゃが」
チェリーは未だ浮かぬ顔をしている。
そこへ炬燵を求めて諸星家へ向かうのかコタツネコがやってきた。


☆.牛丼
四人組は牛丼屋BIG BEEFのカウンターに座っていた。
チェリーは店内に入ると少年達と少し離れた席に座り、人差し指でメニューを指して注文
をすました。
程なくカウンターに丼が置かれたが、少年達は彼に気付いた様子も無い。
メガネが熱弁を振るっていた。
「長い年月が経っているから、褪めたとでも言うのか、命を賭けるなんてバカらしいとと
でも言うのか。お前達にとってラムさんとは何だったんだ。ラムさん無くして俺たちの存
在も有り得ない。ラムさんこそ全てでは無かったのか」
「メガネェ」
「もういい、何も言うな。俺は今夜午前零時に面堂邸へ突っ込む。その時、俺と行動を共
にするつもりの無い奴は、今すぐここから出て行ってくれ」
やはり、コタツネコの報告通り彼はラムを奪還する為に面堂低に乗り込むつもりらしい。
「すまんな、メガネ」
昼にチェリーの所に来たパーマがメガネに詫びると店の外に出て行ってた。
「メガネの事一生忘れないよ」
これは、チビと言う少年だ。
「行く前に下着替えてった方がいいぞ」
そして、カクガリもメガネに一声掛けると二人の後を追って店を出て行った。
一人残されたメガネはしばらく空になった丼に視線を落としていたが、やがて気を取り直
したのか席を立った。
「お勘定まいど、四人分で千四百円」
「えっ、四人分?」
店員の声にブツブツ言いながらもポケットの財布を探っている。
「いや、五人分じゃ」
気が付くとチェリーはメガネの隣に席を移って牛丼を食べていた。
「チェリー。いつわいて出た」
「いつもの事じゃ、気にするで無い」
「なぜ貴様に牛丼を奢る必要がある」
「今日、お主の友人にテンの事を教えた」
チェリーは当たり前の事の様に言放って牛丼をかき込んでいる。
「フン、それだけか、理由に成らんな」
しかし、約束は約束である。
チェリーは牛丼を食べ終え、お茶をゆっくりと啜ってから切り出した。
「先程、サクラより話は聞いた。ラムのことであろう、何なら拙僧に話してみぬか、その
相談料込みでよいぞ」
チェリーは、時計塔の事は黙っていた方が良いと判断したのかコタツネコのことはあえて
伏せている。
「フン、だれがお前のアドバイスなどいるか」
しかしチェリーはメガネのセリフを無視して顔を覗きこんだ。
「不吉じゃ、お主の顔に凶相が出ておる。死相と言ってもよいやもしれぬ。悪い事は言わ
ぬ、今宵は早く家に帰って大人しくしておる事じゃ」
かなり危険な相である。普通これだけ悪い相が出ている時には、たとえ霊感が弱い者であ
っても自分自身で分かるものだ。俗に言う虫の知らせと云うやつである。
しかし、折角の忠告をメガネは聞き入れる気は無いらしい。そして死相を感受するかの様
に微笑んでさえ見せた。
「余計なお世話だ、俺にはやらねば成らない事が有る。ただ、それをやるだけだ」
「かなり思いつめておる様じゃのぉ。気をつけよ、そういう時は見えるものも見えなくな
りがちじゃ」
メガネは瞑目して、チェリーの台詞を反芻していたが、やがて眼を明けると無言でチェリ
ーを見つめた。
二人の視線が合った。
その眼鏡のおくの眼光には迷いはなかった。
チェリーは小さく首を振ると呟いた。
「そうか、残念じゃ、決心は変わらぬとみえる。性よのぉ」
その声はなにか寂しそうに聞こえた。
『こやつはそこまで鬼の魅力の虜になっておるのか』
本来なら彼は今回の騒動に直接関係は無いのである。
なぜならラムは彼を選ばす、面堂の元へ赴いたのだから。
しかし、どうしてもそれが納得出来ないのだ。
だからラムの元に行き、己で確かめなければならない。
熱く、哀しい男の性(さが)である。
例えそれが命がけの戦いであっても・・・。
「これは、仏道に帰依する者の言葉ではないのじゃが。武運を祈っておる」
メガネは明らかに『鬼の災い』に捕われている。
しかし、それは彼自身が選択した事であった。
仮に彼を力尽くで押え付け、何所かに監禁でもしておけば確かに命は救えるだろう。しか
し心までは救えまい。
チェリーはメガネを止める事を諦め「南無阿弥陀仏」と教を唱えながらBIG BEEFを出
て行った。


☆.錯乱坊
朝日が山々を照らし出す前の暗く険しい山道を一人の修行僧が登っている。
体つきは非常に小柄だが、急峻な小道を走るような速さで登る姿は若々しい活力に満ちて
いた。
「ナーマク・サーマンダ・バーサラナン・センダンマーカロシャナ・ソワタヤ・ウン・タ
ラ・マン・カン」
修行僧は堂塔の前に来ると足を止め、印を結ぶと真言を唱え礼拝を済ますと一尾根超えた
次の霊場を目指し再び歩み出した。
午前二時に寺を出発して、定められた約三十キロのコースをたどり、山を上り下りしなが
ら二百数十箇所の礼場・霊所を巡り礼拝・遥拝(ようはい)を行い、朝七時までに寺に戻
らなければならない。
そして、寺に帰り付いても休める訳では無く、勤行や雑用の日常の修行が待っている。
これを、百日間休み無く続けなければならない。
若くして出家し、『籠山十二年(十二年間、寺に籠もり仏法の修行に励むこと)』の教え
を守り、修行に励んでいる在りし日のチェリーの姿であった。
彼は今、千日回峯行に挑んでいた。
チェリーとて始めからはぐれ坊主であった訳では無い。
千日回峯行とは回峯修験道の『行』であり、七年の歳月を掛けて総計千日、約三万八千五
百キロを歩く修行である。
初年度から第三年度までは一日三十キロを百日間。
第四年度、第五年度は同じく百日間を二回度ずつの計年間二百日。この後、全くの断食断
水不眠不臥で八千枚の護摩を焚き続ける、九日間の『堂入り』がある。
第六年度は約六十キロに増え百日間。(この間は2時間程しか睡眠時間が無いと云う)
第七年度は八十四キロを百日間。三十キロを百日間。
七年で合計千日の行である。
なお、この行は始めたら休む事は出来ない。
百日の間は雨でも雪でも例え嵐が来ようと、又体調が悪く熱が出ようと空白は許されな
い。
休めば今までの行は全て無効と成ってしまう。そして始めからやり直す事も出来ない。
正に命がけの過酷な行である。
チェリーは行を始めて五年目、今日で七百日の満行を迎えた。

チェリーはテントを張った空き地に戻り、炎の前に座して、そろいもそろって業(ごう)
の深い少年達の事を考えるうちに、いつしか過ぎ去った己の若き日々を思い返していた。
人並み外れた巨大な煩悩に振り回されてうろたえ、一つの価値観しか未だ見出せず、狂気
にも似た情熱に身を捧げる。
若いさとはかくも愚かで、また素晴らしいものである。
それは、形こそ違え若き日のチェリーの姿でもあった。

チェリーにとっての業とは人並み外れた食欲である。
昔、チェリーは七百日の満行を向かえた後に寺のお堂に籠もり、九日の間全くの断食断水
不眠不臥(食わず、飲まず、眠らず、休まず)で八千枚の護摩を焚き続ける『堂入り』を
おこなった・・・。
五日目を過ぎた頃、一心不乱に護摩を焚き続けるチェリーにそれは突如襲って来た。
とうに捨て去った筈の煩悩「食欲」である。
彼の一族には霊感の強い者が多くいた、そしてその者達は皆、人並み外れた大食漢であ
り、チェリーもまた同様に人一倍食い意地が張っていた。
しかし、チェリーは今までの修行の中で「業」を断ち切った筈であり、またその為の修行
であった。
それが突如として彼を襲った。
もとより、断食をしているのだから、空腹を覚えるのは当然である。
しかし、この飢餓感は尋常では無い。
今まで押さえ込まれていた分、強く巨大な「食欲」は、チェリーを飲み込み。喰らい。激
しく蹂躙(じゅうりん)した。
自分とその一族に対する業の深さに、挫折感と失望感の中で自問した。
「いったい今までの修行の日々は何であったのか?」
激しい飢餓感のなかで「餓鬼道」に落ちる事を恐れ、護摩を焚き続けた・・・。
九日目、『堂入り』を終えたチェリーは半死半生の有様であったという。
師や兄弟子達は行の成就を祝ってくれた。
確かに形の上ではチェリーは『堂入り』を成し遂げた。
しかし、自分自身で行の挫折を悟り、未だ業を捨て去る事の出来ぬ身を恥じていた。
このまま行を続ける事を若い彼の潔癖さがどうしても許さなかった。
業を、煩悩を、厳しい行によって捨て去り、仏道を修め、悟りを開くのが修行である。
それは確かに正解であろう。
しかし、捨て去ろうにも捨てれぬものが業だとも云う。
それでは、捨て去れぬ業をもった者は救われぬ事になる。
『業を業として背負ったままで仏の道は歩めぬものか?』
チェリーの中に疑問が生じた。
『業を捨て去る事が出来ぬまならば、それを受け入れ昇華させる方法も有るのではない
か?』
基より異端的な考えである。
しかし、チェリーには抜き差しならぬ問題に思えた。
やがて体力の回復したチェリーは師に無断で山を降りた。
もとより破門は覚悟の上である。
その後、自ら自戒を込めて『錯乱坊』と名乗ると、宗派宗門を超えて独自に仏の道を模索
し始めた。

かたわらでコタツネコが、身じろぎもしないチェリーを見詰めていた。
今までチェリーに頼まれあたるの部屋に居たのだが、夜が更けてあたるが外出したので知
らせに来たのだ。
機械室でのやり取りを聞いていたので、コタツネコにもあたるが何処へ何をしに出て行っ
たのかおおよその見当は付いた。
しかし、なぜ機械室であたるが責めたれていたのかは分からない。
そもそも彼には「浮気」と言う概念がよく理解できない。
猫に限らず、彼の属する世界では力のあるオスが多数のメスを従えるのは当たり前の事で
ある。あたるの異性に対する執念とバイタリティはけっして悪徳では無く、むしろ賞賛に
値した。
やがてチェリーは眼を明けると立ち上がりコタツネコを見た。
「そうか、あたるの奴は出かけおったか・・・。お主もご苦労じゃったのぉ」
コタツネコにねぎらいの言葉を掛けると歩き始めた・・・。

道の向こうは高い塀に沿った斜面に木々が植わり途切れなく続いている。
その道を進み、壮大な門の見える所まで来ると立ち止まった。
「あたる。どうしてここに」
「お前ら、そろいもそろって頭良くないからな。きっと正面から攻め込むだろうと思っ
て、待っていたら案の定って訳さ」
あたるとメガネの声が聞こえてきた。
「やはり来ておったか。急がねば成らぬのぉ。 ネコやお主はもう帰るがよい、これから
は拙僧の仕事じゃ」
チェリーには少年達を止める事は出来なかった。仮に無理やり止めたところで根本的な問
題解決にはならないからだ。
それに、愚かな行為だが、彼らの志は一種清々しいものに映った。
これが、通常の『呪い』や『祟り』ならば法力にて調伏も出来ようが、今回の騒動はそう
もいかない。
言わば『鬼の災い』はラムがあたるの元をさった事により、少年達の運気が悪い方向へと
傾いただけである。
危険ではあるが彼らの思う様にやらせるしかあるまい。
だが、最悪の事態だけは避けたかった。
チェリーは少年達から見付からぬ様少し戻ってから、塀に向け木々の間に分け入って行っ
た。
しかし、塀の手前まで来た時、コタツネコがチェリーの前に立ち塞がった。
「ネコや拙僧の身を案じてくれるのか・・・。ありがたいがそこを退いてくれ」
しかし、コタツネコは頑なに道を譲ろうとはしない。
齢何百年を経て人語を解するように成ったとはいえ、猫の化身である彼には人間とは違っ
た価値観やモラルがあった。
コタツネコから見れば今回の騒動はたんに異性の奪い合いである。
チェリーがラムを巡る争いに参加するのでは無い事ぐらいは分かる。
それならば、他人が口出しする事ではない。ほっておけば良いのだ。
メスをめぐってオスが争うのは当然の事であり、不幸にも傷つき時に命を落とす事があっ
てもそれは自然の摂理で誰の責任でも無い。仕方の無い事である。
「ふむ、その通りではあるが、人の世はもうちっと複雑でのう。」
コタツネコはまだ納得できないのか、動こうとしない。
しばらくチェリーは睨み付けていたが、フッと眼の光を和らげると片手で頭を掻き次いで
顔を撫ぜた。
なんとこの老僧ははにかんでいるのだ。
「騒々しく無節操のうえ生意気で礼儀知らず、そろいもそろって強情で愚かじゃが、その
くせどこか純粋で純情なあの子達をワシは好きなのじゃ。ワシはあ奴らを死なせとうは無
いのじゃ。」
『好きだから死なせたくない』それならばわかる。
それはコタツネコがチェリーに対して見せた感情と同じだから。
ついにコタツネコが道を譲った。
「すまぬのぉ、判ってくれたか・・・。では、ちっと肩を借りるぞ」
チェリーはコタツネコに礼を告げると、その肩を踏み台にして高圧電流の流れる高い塀に
向け高く飛んだ。
反射的に姿を追って見上げたコタツネコの眼には、満月の中に陰となって飛翔する心やさ
しい天狗の姿が映った。



−END−



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